約束の花火

深海魚観に行って、吸ったことのない煙草を吸ってみて、気がすむまでお酒を飲んで、知らない土地のサイゼリヤに行って、最後にこの極寒の冬の中、海辺で花火しようって約束。

 

なにひとつ実現しなかったけど、静まり返った湖に映る小さな光。空に浮かぶ星たち。とてつもない寒さによる息の白さ。

 

来年も来ようと言った季節外れの花火。

また会うために残しておいた手持ち花火。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も見る夢の話をしよう

 

昨晩、君の夢をみた。

夢のなかでは隣にいたんだ。そばにいたんだ。

手を伸ばせば触れられたんだ。

 

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また、君の夢をみた。

起きたあとに残るのは、君の顔に貼りついている、なかなか忘れられない罪悪感とそれから、今となってはどうにもできない後悔と。

いちばん特別なものを好きと言えない、僕はあの日を取り戻せたのだろうか。

 

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最近また何度も見る夢の話をしよう。

この世は不平等だし、幸せなやつが良くて、幸せじゃないといけないという世の中だし、幸せにならないといけないことなどないはずなのに。

 

 

 

 

不器用で不幸でもがいて死んじゃおうよ

不器用で不幸でもがき苦しんでる方が人間らしくていいと思う。

生きている感じがとてもする。

 

つらいことはたくさん感じてきた。

つらいことをたくさん感じてきたということは人の痛みがその分わかるということで、弱いひとは弱いひとの気持ちがわかる

こういう言葉を何度かみてきた。

それは確かに強みなのかもしれない。

 

ただ、その強みっていうのは誰にとっての強みなのだろうか。

わたしが理解した他人の痛みは理解されて、痛みが消えたときとか、どうでもよくなったときとか、どうにもならなかったときとか、たくさんあると思う。

わたしにとって、その人にとって何が強みになったというのか。

 

だったらもう自分がつらくてしょうがなくて無理して生きてる、苦しんでる

わたしにはそれが合ってる気がする。

他人の気持ちにどれだけ引きずられても、自分自身死んだように生きてるよりましじゃないか。

 

苦しんでもがいて、つらくてしょうがなくて、どこまでも不器用で不幸なままで死んじゃおうよ。